煙草をね、いっつも置いていきよるんですよ、あいつ。持って帰れって言うんですけどね、聞かないんです。へらへら笑うだけで。しかも、玄関とかベッドの横とか、何故か毎回違う場所に。びっくりしたのは冷蔵庫。一回だけ、冷蔵庫を開けたら中で煙草が冷えてたことがあったんです。あいつが勝手に持ってきて置いて行くビールと一緒に。あいつが冷蔵庫開けるのなんてそんときぐらいのもんです。他のヤツの家ではどうか知らないけど、うちで料理してるのなんか見たことない。  その煙草ですか?黙って冷凍庫に移しときました。何て言うかなーって思って。そしたら「見てー、冷凍庫に煙草入ってた。ウケる。アイス食べよー」って、カチカチの煙草とアイス二個持ってへらへら笑ってました。そのアイス私が買ってきたやつなんですけどね。あのあと凍ったやつどうしたんでしょうね。吸ったんかな。
神出鬼没な奴でね、三日に一回来るときもあれば、数週間来ない時もありました。来るときは大抵突然で、連絡もなしにやって来ては私の帰りを待ってるんです。玄関の前でスマホいじりながら。柄悪いですよね。合鍵なんかくれてやるわけないでしょ。恋人じゃあるまいし。あがってからは自分の家にいるみたいにくつろいでましたね。テレビ見たりして。夕食は私が自分のついでに作ってやることもありました。で、あいつが買ってきたつまみとどうでもいい世間話を肴に二人で飲むんです。あいつは決まって眠りこけるまで飲むんですよ。「泊めてやる」なんて一言も言ってないのに。初めのうちはベッドを譲ってたんですけど、だんだん馬鹿らしくなってきて、私も一緒のベッドで寝るようになりました。少し窮屈ではありましたけど、二人とも小柄でしたから。床に転がしといても良かったんですけどね。優しいんで、私。
 ……朝起きるといつも、隣は既にからっぽで。シーツの表面に体温がほんの少し残るだけ。あとは、家のどこかに置き忘れられた煙草が一箱。なんの益もない。毒にも薬にもなりやしない。あいつにとって私はつなぎなんですよ。小麦粉?片栗粉?何でもいいですけど。肉じゃないやつ。うちに来ない日は大方他のヤツの家に上がり込んでるんです。メインはあっち。まぁ、そっちもどこまで本気だったんだか怪しいもんですが。  え?私とはそんなことしませんよ。ホントに寝るだけ。やだな、するわけないじゃないですか。大体泊めるのも不本意なくらいなんですから。あーあ。あの日、情にほだされてうちに上げてしまったばっかりになぁ……。
 ま、もう来ないんですけどね。結婚したんですよ、そいつ。ある時、長いことうちに来ないのが続いて  まぁ正直そんなに気にしてなかったんですけど、二ヵ月以上来ないことって今までになかったので、「どっかで野垂死にしてるのかも」とは思ってました  半年くらい経った頃だったかな、出先でばったり出くわしたんです。偶然。今までそんなことは一度もなかったのに。その日、そいつは私の知らない人と一緒にいました。特別顔がいいわけではないけれど、今まで見た誰よりも柔らかく笑う人。あいつにもったいないくらい、穏やかで優しそうな人。二人とも左手の薬指に銀色の指輪をはめてた。いじわるのつもりで「私の部屋に煙草忘れてったよ。今度渡そうか」
って聞いたら、あいつ何て言ったと思います?「禁煙してるからいらない」だって!びっくりしましたよ。あのヘビースモーカーが。禁煙なんて今まで成功した試しがないくせに。「二ヵ月なの」なんて言って、愛おしそうに自分のお腹を撫でちゃってさ。ほんと、笑っちゃいますよね。

そう言ってグラスを揺らす彼女の横顔を、僕は忘れることができないでいる。