ギィーガチャン、ギィーガチャン
  大きな音を響かせながら、それは荒野を歩く。頭頂部にある煙突からもくもくと煙が上がり、点々と連なる小さな窓からは、慌ただしく動く人影が見えている。旅をする料理屋、ボンボヤージュは、山々の間へ身をひそめる夕陽に照らされていた。
  アランがそれを初めて見たのは、五つの時だった。祖母が言うには、それは世界中を廻る料理店であり、迷い込んではいけない迷宮なのだそうだ。傍目から見て鉄の塊にしか見えないそれが、料理屋だと分かっているのは、ある時店に入った人がいたからだ。その男性は店を訪れて以来、精神を病んでしまった。部屋に閉じこもり、ずっと何かに怯えているらしい。だから、どんなにお腹が空いてもけっして中に入ってはいけないよ、と祖母は最後に言った。料理屋は遠くの丘に小さく見えただけだったので、幼いアランにはなんだかおとぎ話のように聞こえた。アランの両親が亡くなった日のことだった。
 二度目に彼がボンボヤージュを見たのは、祖母が亡くなった十四の時だった。以前見た時よりも、随分と近くを移動しているようだ。アランは祖母の言いつけ通り、そこには行こうとしなかった。ただどこへ行くのだろうと思っただけだった。
  今度目にしたのは、彼が十九になる夏、戦地である敵国でのことだった。炎は家々を焼き払い、戦は人々を絶望の淵に追いやった。戦地に向かう最中、アランの乗る飛行機は敵軍の攻撃によって爆破された。運良く助かったものの、その場から動くことは出来ない。体のあちこちから温かい液体が流れ出ている。おそらく、骨も何本か折れているだろう。森の中の奥深くに落とされたというのに、遠くで叫び声が聞こえた。朦朧とする意識の中、近くの山の上に、歩く鉄の塊を見た気がした。
  気づくと、彼は食卓にいた。テーブルには、一品の料理が置かれている。湯気のあがるそれは、幼い頃母親が良く作ってくれた、ポトフだった。野菜が多めで、鶏肉は少ない。傍らに置かれていた木星の匙で一口すくう。とても懐かしい味がした。空っぽの胃袋に、じんわりと温かさが広がった。ポトフを食べ終わると、次の料理が、それも無くなると、また次の料理が運ばれてきた。どれも、なにかしら思い入れのあるものばかりだった。思い出が濁流のように流れ込んでは、アランを記憶の迷宮へといざなう。アランは、このまま時が止まればいいのにと思った。
  料理に気を取られて気づいていなかったが、室内にはアランだけではなく、テーブルを囲む沢山の人々がいた。誰もみな、穏やかな顔をしている。
(そうか、)
 アランはそこで初めて気がついた。この奇怪な店が、なぜボンボヤージュという名前なのか。彼は目を閉じ、ただ運ばれてくる料理を味わうことに集中した。
 ギィーガチャン、ギィーガチャン
  ボンボヤージュは、重たそうな体を抱えたまま、どこかへ向かって歩き続けた。